アフリカとの出会い61
「頼みごと天国」    

アフリカンコネクション    
竹田悦子 訳


 私は数ヶ月に1回ではあるけれど、ケニアの両親と電話で話すようにしている。

 農村に住む農家の両親は常にあれこれと忙しそうだ。それも自分たちの用事でないことで忙しい。農村での生活は基本的に、すべては自分たちでやるDIY(do it yourself)方式で、電話一つで来てくれる便利な個人や業者など存在していないから、家畜が病気になったり、農作業の人手が足りない、水がない、牛のミルクの出が悪い、赤ちゃんが生まれてお母さんの家事が出来ない、屋根の修理、街までの買い物、日常のすべての「困りごと」をやれる人に頼むことになる。

 そんな「頼まれごと」で日常がとても忙しい両親は、いつ携帯電話をかけても、どこかしらの家で何かをしている。最後の子供(女の子で高校生)以外は、全員実家を出てしまった後の両親は、今まで受けてきたいろいろな頼みごとのお返しをするかのように頼まれごとをこなす日々だ。
 8人の子供を育てた義母は、免許こそないが日本でいうところの「助産師」のように、農村で生まれる赤ちゃんを取り上げることもしばしば。お母さんが忙しい時や、病気のお母さんの子供を預かっていることもある。

 義父は、人のうちの農作業や水汲み、薪拾い、留守宅の家畜のえさやりなど肉体労働を中心によくやっている。そして決まって、日曜日には地元の教会で、聖歌隊の一員として賛美歌を歌う。

 まさに義父母の生活は、人の頼まれごとで始まり、頼まれごとで終わる一週間、一ヶ月、一年。そしてきっと一生涯なのだろう。

 私がケニアにいたときは、夜中に出て行く義父の姿があった。聞けば、「体調が悪くなった友人の代わりに、ガソリンスタンドの仕事に行って来る」という。「え~」と驚く私に「病気だからね、仕方がないね」と笑う。職場もいきなり違う人が来ても大丈夫なのだろうかと心配したが、「何が問題?」といった義父の表情だ。

 ケニアの両親の電話の向こうから聞こえるいろんな生活音。かなづちを叩く音、牛が鳴く声、子供の声の裏で頼まれごとをする両親の姿が想像できる。人に頼み、人に頼まれ、そんな風に毎日が進んでいく農村の生活が伝わってくるようだ。

 両親はよく私が夫の実家に泊まりに行く度、「もっと周りの人にやってもらいなさいね」とよく言う。「あなたは自分でやりすぎよ」とも言う。畑から帰って泥の付いた靴を玄関に置いておくといつの間にか誰かに洗われていてそっと置かれている。バス停まで行くときは、近所の子供が必ず付いてきて、荷物を運んでくれる。畑から収穫してきた豆の皮むきをやるときは、いつのまにか回りに沢山のお母さんが来て一緒に剥いている。

 当然、逆に頼まれることも沢山ある。いきなり泣いている子供を渡されて、「今から用事があるからよろしくね」と去っていくお母さん。「牛のミルク、頂戴ね」と空き瓶持参でやってきて、ひとの家の牛のミルクを絞っていくお母さん。「遊んで遊んで」とこちらの都合にはお構いなしにやって来る子供達。そして「ありがとう」と誰もいちいち言わない。あまりにも「当たり前のこと」だからだ。

 そんな風にケニアでは、「どこまで人に頼んでいいのか」よく悩んだ。日本では、「どこまで人に頼んではいけないのか」でたまに悩んでしまう。



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